認知症に最初に気付くのは本人である

認知症の症状は、本人には自覚がないと思われがちですが、実は一番最初に気付いているのは、本人なのかもしれません。何もわからないわけではなくて、今まで出来ていたことが、なぜか出来なくなったり、物忘れがなんとなく違和感を感じるくらい酷くなり、何かがおかしいと思い始めます。
認知症は、他人事ではありません。もしも自分が・・・。もしも大切な人が・・・。そんな時にこんな考え方があると参考になるかもしれないので、語ろうと思いました。

先日、軽介助は必要ですが、自分で歩いて自分でトイレも伝えれて、体操レクリエーションだって積極的な利用者様。午後から急に立てなくなる。急に自己発言も出来なくなったり。そんな事がありました。朝は、いつも通りだったのです。

以降、やはりご自分では立てなくて、しかしながら、何かがおかしいと感じているのでしょうか。
「私。なんか頭がおかしくなったのか・・・。帰る事が出来るの?どうやって帰るの?」等々。現状までもが把握できなくなって、不安な気持ちを話していました。もちろん、その方が急に認知症になったという事ではないのですが、またこの事例においては、認知症になったわけではないのですが、何かがおかしいというのは、皆平等に感じる事が出来る感覚なのではないかと思います。

で、そんな時が、一番大切な時期なのです。この時の関わり方が、今後を左右してくるのだと個人的には感じています。認知症・身体の異常・本人が何かがおかしいと感じたときは、きっと私たちが想像するよりもはるかに不安で、怖くて、辛く悲しいものだと思います。


忙しいから一人に時間を使ってられない・・・。分かります。職場環境からも、放置気味になってしまう等あるでしょう。しかしながら、本当はどうしたらそうならないのか、手厚く関わることで、今後の悪化を防ぐことが出来るのか。血の通った介護が一番の特効薬です。そう考える事ができれば、もう少し介護業界の状況も変わってくるのかもしれません。

うまく解説出来てませんが、大抵の施設などは、心の余裕・時間の余裕を持って介護に取り組めてないのではないでしょうか。そこが一番重要。

対応ポイント

気持ちに余裕を持って見守る。
手厚く関わるとは、なんでもかんでもして差し上げる事ではありません。ある程度の距離感を持ち、本人が出来る事を見守る余裕が大切です。時間がかかるとか、こちらが焦って対応すると、それが必ず伝わり、うまくいきません。本人がうまく出来ないなら、さりげなく導く。それでも難しい場合は、そのタイミングでお手伝いをするのが良いかと思われます。もちろん、最終的には本人がご自分で出来るようになるような介助・声かけ・関りを意識しましょう。

声かけは視野に入る場所から。
複数人での声かけは、望ましくありませんし、後ろから等視野に入らない状態での声かけも良くありません。攻撃性を感じてしまったり、何が何だかわからない状態になるとイライラが募り、気持ちを不安定にさせてしまいます。

相手の目線に合わせて、ゆっくりとした気持ちで話すことが大切です。早口だったり、耳が遠いからと、大声で話すことはしないように意識してみてください。


落ち着いた・低い声でゆっくり・はっきりと声かけをすることで、気が荒い利用者様に、意図が伝わったという事例があります。

私は認知症ではない!の拒否には寄り添う事が大切

自分の異変に気付きだすと、とても気が滅入ったり、心細く不安になるものです。だからといって、人によっては周りの家族や知り合いに、打ち明ける事が出来なかったりもします。自分が自分でないような感覚・今まで出来ていたルーティンが出来なくなる。または、理解するのになぜか時間がかかる。気が付いたら、なんでこんなことをしているんだろうとか、物をしまった場所が自分が思っていたところと違っている。等々。

まさかと認めたくない気持ちがある中で、周りが気づきだして受診を進めるとしましょう。もちろん、人によっては「そんなことはない。大丈夫!」だと拒否をします。そこには、まだらに理解力や判断力がある自分を信じて、異変に目を向けたくないという不安な気持ちがあり、いつも通り生活をすることで自分の心を守ろうとする精一杯の表現をしている場合もあるのです。

このご時世、多忙な時代ですが、こういった異変からいかに穏やかに生きていけるのかは、周りの理解と環境が、大きく左右されるのではと考えます。不安な気持ちの時に、自分ならどういった関りを望むのか。いずれは診断されるであろうことを、本人が穏やかな気持ちで受け入れるには、じっくりと焦らずに時間をかける事が必要になります。周りは多忙時代ですが・・・。

認知症・身体の異常になったとしても、支援の仕方で本人が出来る事を維持することは可能だったりします。家族だけの問題にすると、どうしてもがっつり向き合おうとして、対立し疲れてしまう。そうではなく、地域社会で見守れる状態になるとこれからの高齢化社会は、より生きやすくなるのではないでしょうか。全ての国民が、何か技術を持つのではなく、認知症理解をしてさりげなく見守れる。それだけでも、十分なバリアフリーなのです。

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