昭和・平成・令和の介護

昔の介護現場って、色で言うとグレーなイメージがあります。孤立したような、自由ではない。また、監視されているというか、個々の個性は尊重されていたのだろうか・・・。集団隔離された空間で、おしゃれをすることもない。そんなイメージがあります。とはいえ、昔は大抵が自宅で家族介護が普通ではなかったのではないでしょうか。

私が初めて介護という言葉を知ったのは、祖母が認知症になった時でした。当時はまだ昭和。もうすぐ平成になるころだったような気もします。祖母は、約6年間徘徊や寝たきりの末にこの世を去りました。アルツハイマー型認知症でした。

今でいう、デイケアやデイサービスって、あったのかもしれませんが、今ほど世間には浸透してなくて、我が家では利用してませんでした。しかし、特別養護老人ホームが近所にあって、時々祖母は寝たきりになった後、泊りで利用していたように記憶しています。家で介護の時は、定期的に訪問マッサージだったか、訪問リハビリだったか💦来ていただいてました。日中は、基本母が介護をしていましたが、ヘルパーさんも定期的に来てくださり、祖母のお世話をして頂いてました。(歩けるうちは、放置でしたが、寝たきり後は自宅介護でした。)

訪問マッサージ・・・歩行が困難な人や寝たきりの人で、医師に医療上マッサージの必要性が認められた人。

訪問リハビリ・・・要支援・要介護者で、医師に日常生活を送るためにリハビリの必要性が認められた人。

LIFULL介護より

昭和時代はまだ、生活の質(QOL)、ノーマライゼーション、自立(律)支援などの人間尊重や尊厳性の概念なんぞ、現実的には全面的にうたわれていなかった時代。
認知症の方々も、「ぼけ老人」とか「痴呆症」とか現在の【認知症】という言葉に至るまで、呼ばれ方にも歴史があります。2004年に厚生労働省によって改定されたのが【認知症】なのです。

「痴」とは、頭の働きがにぶい。思慮分別が足りない。ぬけている。おろか。
「呆」とは、「呆れる」(あきれる)や「呆ける」(ほうける)、「呆然」(ぼうぜん)、「阿呆」(あほ、あほう)などの語を成す漢字。とされています。

今となっては、個々の出来る事を尊重して、その人らしい生き方を支援することが大切と言われるようになってきました。が、まだまだ昭和時代からの介護に対する名残は消えていないようにも思います。

本当は、皆が生き生きと過ごせることが一番。しかしながら、現実の現場では「時間に追われる」「空気がピリピリしている」「意見が言いにくい」等々。追われるから、利用者さんの出来る事も見守れず、可能性を摘んでしまう。お互いに余裕がなくなるから、その忙しない気持ちを敏感に感じて、認知症の方々も不穏になることもある。不穏になれば、これは悪化してきたとか、やれ薬の服用が必要と言い、適切な支援がおこなわれなかったりしていることもあるでしょう。
また、利用者さんと向き合いたい気持ちはあれど、仕事として接するがゆえに、なんだか作業的というか、人情に欠けた対応を取らざる終えない状況もあるかもしれません。これではよくないと、新しい風を取り入れようとする者は、職場に居づらくなる。結果、良い職員ほど現場を去る。なんて言葉も聞いたことがあります。(もちろん、良い施設もあるでしょうから、そこでは素晴らしい介護士が活躍されているでしょう。多分まだ稀だとは思いますが。)

理想的な介護の世界は、まだまだ先の話になりそうかなと、そう感じる日々でもあります。
とはいえ、昭和グレーカラーから、平成は少し明るいカラーイメージを感じたりもしました。

そして、時代は令和。2021年には、介護報酬改定がありました。今までの常識が通用しなくなる時代に突入してるともいわれています。コロナウィルスの影響で、施設から出ることが許されず、デイサービスが利用できなかったり、外にちょっと散歩(歩くために)が出来なくなったり、アクリル板があるために、レクリエーションだって制限されてしまう事もあるでしょう。それでも、近年では【整容介護】が取り入れられてきたり、【認知症カフェ】たるものが運営されてる場所もあったり、高齢者の方々が、【YouTubeでダンスを披露】していたり、【認知症サポーターキャラバン】が誕生したり、他にもまだまだ!昭和から平成、令和と、ますます個人を大切にする動きが出てきているのも事実です。

これらの事に関しては、後々どこかで紹介できればと思います。

理想的な介護の世界を目指すには、一人一人の出来る事を丁寧にアセスメントして、個々の関りを大切に出来る余裕が必要であるのかなと思います。そのためには、人材不足の解消は不可欠であり、変化を受け入れる・やってみる・意見が言いやすい環境作りも必要。どうしても、新人や立場の弱い職員は、良い意見があったとしても、受け入れてもらえない場合が多々あります。従わなければ、人間関係がこじれてしまう。

誰でも意見を言えれば良いのです。そして、もしその意見が正しくないのなら、なぜなのか。納得のいく説明をしたら良いのです。意見が良くも悪くもないならば、変化をネガティブに取らずにやってみたらと思うのです。大抵の介護現場の離職理由は、【人間関係】だと思います。どうしても介助や支援ばかりが一番とされていますが、こういった違う角度の問題も、理想的な介護の世界を目指すうえで、むしろ一番に取り組む課題なのかなと考えます。介護をする人間の心の余裕があるからこそ、愛情ある介護に繋がるのかなと。忙しいとは、心を亡くすですね。そんな状態で、良い支援が出来るでしょうか。

離職率が減って、人材不足が解消し、忙しない環境を改善できる日が来れば、余裕が生まれて一人一人に適した介護に繋がる。そんな日がいつかは来ると思いたい。

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